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東京高等裁判所 昭和32年(う)1195号 判決

控訴人 原審弁護人 川島政雄

被告人 安藤正泉

検察官 深井勉

主文

本件控訴を棄却する。

当審の未決勾留日数中九十日を原審が言い渡した刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人川島政雄作成の控訴趣意書のとおりであるからこれを引用し、これに対し当裁判所は次のように判断する。

原判決挙示の証拠を綜合すると原判示事実はすべて優にこれを認めることができる。即ちこれによると原判示第一の事実については原審証人西川昇二は山本清一と共に判示日時頃安藤という人から麻薬を買つたことは相違ないがその安藤という人は被告人ではないと供述している。しかし山本清一の原審公判廷の供述によると西川昇二と共に判示日時頃被告人安藤から麻薬を買つたことは相違ないと供述し、検察官に対しても同様の供述をしており、西川昇二の原審公判廷における供述中被告人と異なる安藤であるとの点は輙く信用し難いのであつて、記録を精査するも原判決の事実認定に所論のような誤のある廉を発見し得ない。次に第二の事実については論旨は先ず被告人は昭和三十一年十一月十九日の正午頃を境として麻薬の譲渡に関しては山下健二郎及び向井登喜雄の両名に対し被告人が所持していた麻薬を譲渡しその売人としての責任は免れているのであつて被告人が山下及び向井にその売人としての責任者の地位を譲渡した以上その後の山下等の犯罪については被告人は責任を負担すべきものではないと主張するが、原判決挙示の証拠によると被告人は向井登喜雄、牧野某と共に原判示飯村方奥三畳間で一昼夜交替の当番制をきめて麻薬の密売をしていたのであるが、昭和三十一年十一月十八日昼頃牧野から千円包六包の麻薬を受取つて売人の番につきその一部を密売し、その残余を翌十九日昼頃当時の向井に引継いで非番となり、その引継ぎを受けた向井は爾後一昼夜の間は自己の当番であつたが、自宅に用事があるとして一時山下健二郎に密売の仕事を代行させたことが明らかであるから、被告人は自己の非番中の向井、山下等の所為に対しても共犯として責任を負うのは当然である。

次に論旨は原判決は第二の(二)の事実において、安本存乃代に対し麻薬代金二千円分を譲渡せんとしたが捜索差押処分があつたためその目的を遂げなかつたと認定しているが、本件は未だ代金の授受があつただけで譲渡の実行行為に着手していないから譲渡未遂罪は成立しないと主張する。よつて原判決挙示の証拠を仔細に調査検討して見ると、被告人が自己の当番時間を終つて昭和三十一年十一月十九日昼頃、向井に引継ぎ非番となつた後、当番の向井は自宅に用事があるとして一時自宅に行つてくる間山下健二郎に密売の仕事の代行を依頼して外出したところ、その間に買人が二人来たので山下は向井に代つて麻薬を売つてやつたが、最後に安本存乃代が麻薬を買いに来て二千円分欲しいと云つて代金二千円を出し山下はこれを受取つた、しかし手許にあつた麻薬だけでは二千円分に足りないので、かねて麻薬をかくしておく北川アパートに向井が麻薬をとりに行つているものと考え、同人に連絡して麻薬を持つてきて安本に引渡すため安本を飯村方に待たせておいて外出した間に飯村方が警察官の捜索差押処分を受けたため、右安本に対し二千円分の麻薬の引渡をすることができなかつた事実を認めることができる。おもうに麻薬取締法第十二条第一項にいわゆる譲り渡しとは所有権の移転又は処分権の付与に伴う所持の移転と解すべく、その犯罪の実行の着手は右のような所持の移転に必要な準備的行為を開始したときと解するを相当とする。本件においては前記認定の如く麻薬密売の仕事を代行していた山下が安本から麻薬買受の申込を受けるやこれを承諾して代金を受領し、手許に所持する麻薬だけでは買受申込の分量に不足なので、その不足分を他の隠し場所から持つてくるため安本を待たせておいて向井に連絡に出掛けたのであるから麻薬譲渡のための所持の移転に必要なる準備的行為を開始したものと解するを相当とする。然るにその後警察官の捜索差押処分を受けるに至つたため引渡の目的を遂げなかつたのであるから本件は麻薬の譲渡未遂罪を構成するものと云わなくてはならない。次に量刑不当の論旨について記録を調査するに、本件記録に顕われた犯罪の動機、態様、被告人の罪歴その他諸般の情状に照すと原判決の量刑は相当であつて重過ぎるものではない。論旨はいずれも理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に則り本件控訴を棄却し、刑法第二十一条により当審の未決勾留日数中九十日を原審が言い渡した刑に算入することとし主文のとおり判決する。

(裁判長判事 大塚今比古 判事 渡辺辰吉 判事 江碕太郎)

弁護人川島政雄の控訴趣意

第一、被告人に対する犯罪事実については第一審裁判所に於ては昭和三十一年五月三十一日付起訴に係る西川昇二に対し塩酸ジアセチルモルヒネ(ヘロイン)耳かき三杯位約〇、〇三瓦を代金四百円で譲渡したものであるという公訴事実並びに被告人が向井登喜雄、山下健二郎等と共謀の上営利の目的を以て昭和三十一年十一月十九日、横浜市南区前里町二丁目二十八番地飯村方に於て第一、塩酸ジアセチルモルヒネ(ヘロイン)三包合計〇、〇六九瓦を所持し、第二、安本存乃代に対しヘロインを代金二千円で譲渡しようとしたが捜索差押処分があつた為その目的を遂げなかつたものであるとの犯罪事実全般に亘り有罪の認定をなし、被告人に対し懲役二年に処する旨の判決の言渡しがなされたものである。

本件公訴事実全般に亘つては、被告人は警察並びに検察庁に於ても終始犯罪事実を否認し続けて居たものであり、特に西川昇二に対しヘロインを代金四百円で譲渡した事実については西川昇二も公判廷に於て被告人より買受けた事を全面的に否定して居る事案であります。裁判所は公判廷に於ける買受人の証言を信用せず亦西川昇二と共に本件麻薬を買受けた際立会つた者の証言並びに西川昇二の警察並びに検察庁に於ける供述調書を証拠として有罪なりと認定をなして居るものであるが本件公訴事実については何等物質的証拠がないものであり唯単に西川昇二の警察並びに検察庁に於ける供述を信用して有罪なりと認定することは大なる誤まりと謂わなければならない。

第二、特に被告人に対する追起訴に係る犯罪事実については被告人の公判廷に於ける供述並びに各関係人の供述に従つても明らかな如く、被告人としては昭和三十一年十一月十九日の正午前後を境として麻薬の譲渡に関しては山下健二郎並びに向井登喜雄の両名に対し被告人が所持して居た麻薬を譲渡しその売人としての責任は免れて居るものであつて被告人が、山下健二郎、向井登喜雄にその売人としての責任者の地位を譲渡した以上その後の犯罪については被告人としては飽く迄責任を負担すべきものではないと思料するものである。

尚本件に関しては共犯者として起訴された向井登喜雄に対する犯罪事実の認定に於ても横浜地方裁判所裁判官、赤穂三郎は向井登喜雄の犯罪事実の認定に当り、安藤正泉に関しては共謀の認定をなさず唯単に向井、山下の両名のみの共謀ありとしたものである。

尚安本存乃代に対し譲渡未遂の点については向井登喜雄に対しても無罪の認定をなして居るものである。

斯くの如く原審裁判所は被告人が何等関係のない追起訴の公訴事実についても詳細なる審理をなさず有罪の認定をなし懲役二年に処する旨の判決の言渡しをなして居るものである。

第三、亦原審裁判所は被告人に対し犯罪事実全般に亘り有罪の認定をなしたのみならず、判決に於ても向井登喜雄とほとんど同様な犯罪経歴のある被告人に対し二年と云う懲役刑を言渡し、未決勾留の日数についても二ケ月程しか算入しないものであつて同種犯罪を犯した向井登喜雄と比較しただけでも如何にその刑が重きにすぎるかと云う事が明瞭であります。

尚被告人に対する追起訴に係る犯罪事実は当然無罪の言渡しがなさるべきものと思料致しますが万一追起訴に係る犯罪事実が無罪だとすると被告人に対する原審判決迄の勾留は不当勾留と云うべきものでありまして判決の言渡しについては未決勾留の日数については当然全部を通算すべきものであります。

第四、斯くの如き事情でありますので何卒貴庁に於かれましては原審裁判所に現われた各種関係書類を詳細に御検討の上被告人に対しては少くとも追起訴に係る犯罪事実については無罪の判決を更に万一本起訴に係る犯罪事実については有罪の言渡しをなすべき場合に於ても相当減刑の上処断すべきものであると思料致します。

以上原審判決は事実の認定に重大なる誤りがあり、更に刑の量定が著しく不当なる事案に該当する事が明瞭であり刑事訴訟法第三百八十一条第三百八十二条の何れにも該当するものでありますので何卒原判決を破棄して無罪の言渡しをして戴き度く別紙共犯者たる向井登喜雄に対する判決謄本を添え本件控訴に取んだ次第である。

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